歴史

名称:徳栄山 惣持院 本妙寺

所在地:東京都豊島区巣鴨5-35-6

創立:元亀二年(1571)

本尊:十界勧請大曼荼羅

開山:智存院日慶

開基:久世三左衛門広宣

   大久保五郎右衛門忠俊

   大久保五郎右衛門忠勝

   大久保五郎右衛門康忠

   阿部四郎兵衛忠政


沿革

当山は、山号を徳栄山と称す。
これは、徳川家が栄えるようにとの願いでつけられたものである。
徳川家発祥の地は三州岡崎(現在の愛知県岡崎市)である。岡崎の近郊に法華宗の海雲山長福寺という古刹がある。
長福寺の檀徒で徳川家に仕えた久世広宣、大久保忠勝、大久保康忠、大久保忠俊、阿部忠政等が、元亀二年(1571)家康公が岡崎から遠州曳馬(現在の浜松市)への入城に際し、智存院日慶上人にお願いして駿府に創立された寺が当山である。

天正18年(1590)家康公が関東奉行として江戸入城に際して、当山も久世家、大久保家等と共に江戸へ移転した。
当初は江戸城清水御門内の礫川町へ移建されたが、城域拡張に伴い飯田町、牛込御門内、小石川(今の後楽園)へと移動させられている。

二代目以降の住職もまた学徳高く前記久世、大久保、阿部等幕臣の帰依を得てその外護により伽藍も整備されたが、寛永13年(1636)出火のため全焼した。

その後、久世大和守広之の尽力により本郷丸山に替地をうけ、約6000坪の境内に九間四面の本堂や千仏堂、客殿、書院、庫裡、鐘楼、山門等完備し、塔頭寺院も十二と七堂伽藍の整った大寺院として復興した。
しかるに僅か数年後の明暦三年(1657)正月十八日、明暦の大火によって悉く焼失した。
しかし、大火から3年後に、客殿、庫裏を、6年後には本堂を復興した。

以後、明治41年(1908)現在地へ移転するまで本郷丸山にあった。
現在も文京区本郷五丁目付近に『本妙寺坂』なる地名が残されている。